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【こだま】2024年 12月


もくじ
・こだま寄稿
   1985年の事故背景と報告書抜粋(なべさん)
・12月の例会
・新規掲載の山行ブログ


【こだま寄稿】1985年の事故背景と報告書抜粋
 寄稿:なべさん
 2024.12.29

1985年の事故背景

 1973年に相模が創立されてから 12 年目に、この事故が起きた。
 相模は、当初ハイキングから始まった会であるが、創立から5~6年という短期間で沢登りや岩登りが盛んになった。1981年には、甲斐駒ヶ岳八丈沢奥壁の相模労山ルートの開拓、84年には冬季北岳バットレスの登攀成功など、会員の登山技量が高くなり、相当のレベルに達していた。会全体として会員数も 50 名ほどになり、会員の上昇志向が高まっていた時に起きた事故である。

渡辺三男

『北アルプス前穂高岳奥又白B沢 事故中間報告書』より抜粋

1.はじめに
 昭和60年8月11日、当会夏期合宿中、北アルプス前穂高岳奥又白B沢で、当会会員、(xx 歳)が滑落事故を起こしました。涸沢常駐警備隊、東大山岳部涸沢診療所等、関係各位の懸命の努力により松本市内の病院に事故者のが収容されました。今日まで懸命の治療にもかかわらず、いまだに意識は戻っておりません。
 この間、当会は遭難対策委員会を中心に、事故現場からのザック等の回収作業・豊科警察署・涸沢常駐警備隊・東大診療所等、関係者への挨拶まわりや、事故原因の究明、2回の会員全体緊急集会を行なってきました。
 その中でいくつか直接的な原因とは別に、会の山行管理の問題や会運営上の問題等が指摘されています。
 今回一日も早く多くの方々に、事故の概要を知って頂く為、とりあえず中間報告としてまとめ、今後あらゆる角度から検討を加え、最終報告書を作成していきたいと思います。

2.事故内容
 (1) 事故概要
 8月11日北アルプス前穂高岳東壁右岩稜古川ルートを登ろうとしていた、当会夏期合宿中の2名パーティの1名が、古川ルートの取り付きを捜そうと、B沢から4~5m登った所で、トラバース中に、足場が崩れB沢に転落し重傷を負った。
 (2) 日時
昭和60年8月11日 12時50分頃
 (3) 場所
北アルプス前穂高岳奥又白B沢
 (4) 事故者
xx 歲
 (5) 同行者
xx 歳
 (6) 事故時の状況
 事故パーティは8月10日上高地より入山し、屏風岩雲稜ルートを登り、その日は終了点近くでビバーク。11日午前5時過ぎに行動を開始し、10時に北尾根Ⅴ、Ⅵのコルに着いた。ここから奥又白谷へ下降し、本谷をつめインゼル末端よりC沢をつめて、上部でインゼルを通りB沢に達した。
 事故後、近くにいた小田原クライマーズクラブ(以下、小田原 CC)の2名パーティ(両氏)に援助を要請し、氏 に伝令に行ってもらった。当会パーティの氏で事故者 () を捜したところ、転落地点から、200m 程下の雪溪末端で発見した。は意識不明の重体であった。氏にの付添いを頼み、Bはさらに、救助の要請に奥穂山荘に向った。既に、氏の伝令により、涸沢の常駐警備隊が救助に出動していた。19時10分にはヘリにて東大山岳部涸沢診療所に収容された。翌朝ヘリにて、長野県ガン検診救急センターに収容された。

事故発生場所略図(省略)
事故発生場所概念図(省略)

3.山行計画の概要(省略)
4.事故経過報告(省略)
5.会の対応(省略)

6.事故原因
足場の崩壊
(B沢から4~5m登って不安定な足場で左にトラバースをしようとして動いた時に足場の岩が崩れ転落した。)

7.事故要因
 (1) 山行中の問題点
① 三峰リッジ末端下でを待って二人でルート図等を出して取付を検討すべきだった。
② リーダーの適確な指示がなかったので、はB沢をつめた。
はどうして行き詰まる所まで登ってしまったか?
が行き詰まった段階で行動を止め、何故ザイルを出さなかったか?
が行き詰まった状態で、が上から指示したルートは、には難しかった(お互いの角度からルートが良く見えなかったのではないか?)
 (2) 山行以前の問題点
① 山行目的のあいまいな所があった。(雪辱戦か、冬山偵察か?)
② 去年の計画では、継続ルートを敗退したので今年は、その雪辱戦として山行を組んだ()→しかし、これと裏腹にトレーニング等での気迫は感じられなかった。
③ 日頃トレーニング(日常)等に於いて、山に対する考えが甘い。今回の山行のポイントは体力の維持にあった事は、自身も知っていたが、その為の特別なトレーニングはなかった。
④ 日常の生活で体調をきたす(睡眠不足)ような事があったのでは?
⑤ 実際のトレーニング(ゲレンデ等)に於いては、の半分以下のトレーニング量であった。またトレーニング内容も楽な事しかやろうとしなかった。
⑥ トレーニング計画は良かったが、消化した中身は薄かった。
⑦ 体力のなさをトレーニングではなく装備の軽量化によって補おうとした。(トレーニングなしの安易な考え)
⑧ 山行管理(リーダー部)する側でも安易に認める部分があるのではないか。(リーダーに対し、ルートの確認、アドバイス、点検等を適切に行う)
⑨ 出発前ルート図等は勉強したが、登ろうとしたルートについてのコメント、アドバイスを他経験会員に求めなかった。

8.協力者一覧(省略)
9.会計報告(省略)

10.おわりに
 当会として今後二度と、このような事故を起こさないように、個人の健康管理等を含めた山行管理の徹底、安全登山の普及、科学的な事故防止対策の実施、登山観等の教育を行なっていきたいと思います。
 この中間報告書は、まだまだ不十分です。多くの方々のご意見等お聞かせいただければ幸いと思います。
 最後に今回の事故にあたり、御協力いただいた関係各位には、深く感謝し御礼申し上げます。

相模勤労者山岳会
会長 渡辺三男

発行   :相模勤労者山岳会
編集   :遭難対策委員会 
編集責任者:渡辺三男    
発行日  :1985年10月24日
所在地  :(省略)    

(了)


【12月の例会】

日時:12月11日 19:30~20:20
場所:相模原市大野南公民館
出席:佐和ちゃん(司会)、ふくいち(議事録)、なべさん、純、tam、しんめい、かず、たけ、Kimi、しんご、mimi、UTi、もん、ふじ、まっちゃん、Chai、かつのり(17名)


例会後の忘年会




【新規掲載の山行ブログ】

◆ 2024.11.09     歩荷訓練 (Chai)
◆ 2024.11.30     鎌倉天国 足慣らし (tam)
◆ 2024.12.14 – 12.15  第2回定期練習会 湯河原幕岩・モミソ岩とモミソ沢 (しんご、miyuki、kany、コッシー)


おわり

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会員は相模原・厚木エリアを中心に、
町田、横浜、大和、座間、海老名、八王子に在住し、
様々な登山ジャンルで活動している地域山岳会です。

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