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入会について

【こだま】2025年 11月


もくじ
・こだま寄稿
   老いていく日々も楽しい(ちょう)
・11月の例会と会山行
・新規掲載の山行ブログ


【こだま寄稿】老いていく日々も楽しい
 寄稿:ちょう
 2025.11.06

 山へのカードが一枚ずつ減っているのが現実である今日。終活と言いながら色々整理し始めているが、最後に残るのは山関係の道具、衣類、雑誌、地図、写真等で中々廃棄する思い切りがない。そんな中写真を眺めての思い出。過去の振り返りが多くなる。
北アルプスで一番多く入山したのは上高地であった。
上高地からの最初の入山は 1967 年(昭和 42 年)新島々からバスは途中の沢渡で休憩が入る。奈川度ダムが建設中であった。釜トンネルも暗く両側からしずくが落ちていて急勾配でありクランク状急カーブが存在した。

新人夏山合宿は涸沢での雪渓歩行訓練、ガリガリの雪渓での滑落停止は難しい。先輩は一回転して見せる。グリセードも教わり楽しくテント場まで滑降。

春山合宿も涸沢が多く雪上訓練はよくやっていた。

当時ヨーロッパでの岩壁登攀が盛んで、先輩の中には退職してまで目指していた。ガストン・レビファーの映画のパンフレットも残っていた。私もヨーロッパアルプスを一目見たいと思い 1975 年(昭和 50 年)シャモニー・グリンデルワルト・ツェルマットのトレッキングに行き北壁を眺めていた。

先輩が滝谷のフランケに立ち、ガストン・レビファーの真似?

いつもは、上高地から穂高側を登っていたが、反対側にも登ってみようと思いたったのは相当年月が経ってからであった。そんな中での霞沢岳と六百山。
霞沢岳西尾根は積雪時に行き明神5峰から主陵・前穂のルートがくっきり見えて厳冬期らしい眺めであった。

徳本峠から霞沢岳の登山道は昭和 59 年(1984 年)に整備された記載があり、昭和 40 年代の地図には当然登山道は記載されていない。霞沢岳は大正2年(1913 年)ウエストンが登頂した八右衛門沢からのルートがあり、実際に行った時はルートのピンクテープ等のマーキングは無く、それらしき赤丸が幾つかあった程度の記憶である。落石の注意しながら沢を詰めていく。稜線までのルートファインデグはそれぞれで、稜線から徳本峠までの帰りは長く感じた。

岳沢、前穂からいつも眺めていた六百山は、江戸時代六百山エリアから材木を 600 玉(ホダ)切り出されていたからの由来がある。
河童橋のホテルの裏側から登る。今では結構登られている。山頂はハイマツでおおわれている。上高地の眺めも素晴らしい。

更に思い出深い場所の一つは奥又白池からの前穂東壁、前穂北尾根の眺めは涸沢からの北尾根とは一味違った風景である。過去に東壁や4峰は登攀したことがあるので先人の奥又岩壁登攀記録を読み返すのも楽しい。ぜひ機会があれば訪ねてもらいたい場所でもある。

写真の左端にC沢、インゼルがはっきりわかる。

登山初めの若き頃、山はロマンだと言ったが未来のロマンは先細り過去の登攀者活躍をリスペクトしながら、故障しないようインドア・クライミングに勤しんで体力維持している。
一般的に周囲から無理するな、頑張るなと言われる年齢。やって良い頑張りとやるべきで無い頑張りの判断、頑張らないと達成しない事もある。チャレンジしないと進化しない。老い行く時間との闘いが現実で、エブローグまで自分にできる楽しい登山を歩みます。

(了)


【11月の例会】

日時:11月12日 19:30~21:00
場所:相模原市大野南公民館
出席:ふくいち(司会)、ちい(議事録)、なべさん、純、ケンタ、しんめい、Kimi、もん、みなちゃん、かつのり(10名)
見学:1名


今月の会山行

大山歩荷訓練 11月15日朝 鶴巻温泉駅にて


【新規掲載の山行ブログ】

◆ 2025.09.13 – 09.16  ヨセミテ記1 Day1-4 (mimi)
◆ 2025.10.11 – 10.13  錫杖岳 見張り塔からずっと (なーたん)
◆ 2025.11.01 – 11.02  鳳凰三山 (みず)
◆ 2025.11.03     鋸山 (Kimi)
◆ 2025.11.09     秋セルフレスキュー講習 (しんご)


おわり

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会員は相模原・厚木エリアを中心に、
町田、横浜、大和、座間、海老名、八王子に在住し、
様々な登山ジャンルで活動している地域山岳会です。

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