創立50周年を迎えました。
相模アルパインクラブ 創立とあゆみ
今月、相模アルパインクラブは創立50周年を迎えました。
相模アルパインクラブ 創立とあゆみ
労山の歴史
▲ 1960年 日本勤労者山岳会創立
既存の山岳会は敷居が高く、気軽に入会できなかった。
「働く者のための山岳会を作ろう」発起人 16名。
☆伊藤正一(北アルプス三俣山荘経営者)
・松本善明(弁護士)、深田久弥(「日本百名山」著者)
・田中澄江(「花の百名山」著者)山本薩夫(映画監督)
中島健蔵(仏文学者)・丸木位里(画家)他、著名人が発起となって人「勤労者山岳会」を創立。
3年後、「日本勤労者山岳連盟」に改名(全国規模組織として)
※ 労働組合・総評が入会を呼びかけをした。
▲ 1967年 神奈川県連盟が結成。
(湘南労山・川崎労山・横浜労山)
やまびこ山岳会 として発足
▲ 1973年6月 「やまびこ山岳会」発足 会員8名
・東芝コンポーネンツの社員同好会として発足。
・ハイキングを中心に活動。
▲ 1974年
・1月 神奈川県勤労者山岳連盟に加入 会員 14名
・定例会や総会等の開催、春合宿(戸隠)・沢登りなど、徐々に活動領域を拡げる。
▲ 1975年
・渡辺 入会、会員 23名。
・会として初めて冬合宿(戸隠)に取り組む。例会は喫茶店。
▲ 1976年
・県連の登山祭典に初参加。会員数が増え、活気がアップ。
相模勤労者山岳会
▲ 1977年 相模勤労者山岳会と改名
・会員数 22名。
・「例会」は月2回、町田市役所分室で行った。
・会員が増えるに従い、山行ニーズも多様化。
▲ 1980年
・岩志向3名により「登攀研究会」を設立、登攀が盛んになるにつれ、会員が増える。
▲ 1981年
・甲斐駒ヶ岳八丈沢奥壁に相模労山ルート開拓。
・第1回「障がい者登山」(高尾山)開催。
障がい者登山(交流ハイキング)
▲ 1981年 国際障がい者年
・「国際障がい者年」にちなみ、どこも取り組んでいない障がい者を対象とした登山に取り組む。
・ 障がい者とともにハイキングをするという社会貢献の意義をふまえ、交流の活動に参画。
・「交流ハイキング」と名称を変え、20年以上活動。
・ 障がい者の参加、会員・県連・町田グラウス・一般ボランティアなどを含め、最大で 200名が参加する大イベントでした。
車椅子を引く、簡易トイレの設置、豚汁づくり
高尾山・弘法山・大野山・石老山・陣馬山 等
1988年9月 第8回交流ハイキング 弘法山
町田グラウス山の会 設立
▲ 1984年
・町田地区の会員9名による設立。
・1年間の設立準備期間を設けて、設立。
・現在、都連最大の会員 約 150名。
▲ 1984年
・2月 谷川岳一の倉沢で雪崩事故 3名重軽傷。
・12月 冬季北岳バットレス登攀成功。
▲ 1985年
・会創立以来の初の死亡事故(前穂高岳奥又白B沢)。
▲ 1986年
・会事務所を持つ。中山荘(小田急相模原)。
・会員 53名。
▲ 1988年
・創立 15周年記念ペルーアンデス相模労山隊を派遣。
▲ 1989年
・丹沢 山小屋「倉見山荘」(渡辺 購入)。山行や行事の拠点として活用。
▲ 1992年 20周年記念
・インドヒマラヤ・ホワイトセール峰に遠征。
・20周年記念集中山行(谷川連峰)- 21 コース延べ 77名参加。
20周年記念 谷川岳集中
▲ 1998年
・「交流ハイキング」の実施をめぐり、会の中で意見の対立が生じた。運営委員全員が退会。
新たに「白嶺岳和会」を創る。7年後会員数減少のため解散。
▲ 2007年
・創立 35周年を機に、イメージアップのため「相模アルパインクラブ」と改名。現在に至る。
終わりに
今日まで 50 年・・・
様々な人々との交流や活動があり、今日に至る。
会員同士での結婚 16組。山での事故死2名。
渡辺の青春・人生も会とともにあった。
現在、会として、多様な分野での活動に広がり、会員数も 50名を超える段階に入った。
半世紀を経て、今後、会員の皆による益々の活動と躍進を祈念します。
「50周年記念集会(2023.4.15)プレゼン資料より転載」