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【こだま】2021年 12月


もくじ
・こだま寄稿
   インドヒマラヤ ホワイト・セール峰登頂の記録
   モンブランをぐるっと1周奮闘記
・12月の例会
・新規掲載の山行ブログ


【こだま寄稿】インドヒマラヤ ホワイト・セール峰登頂の記録
 寄稿:純
 2021.12.20

黎明 創立20周年記念誌(1994.02.10発行)より
 1992.07.23 – 08.25

隊長
 
隊員
 M.A
 H.Y(東京・板橋労山)
 T.A(大阪・安治川山の会) 
 M.S(長野・茅野労山) 

 はじめに
 当初、1989年の夏に行く予定であったが、メンバーが集まらず延び延びになっていた。今夏20周年記念に合わせ登山隊を組織することにした。しかし実際に動き出してみると、仕事や家庭の都合で思うように隊員は集まらず、結局いけるのは、入会して間もない M.A 君の2人だけという状態であった。そこで急きょ会員外にメンバーを求め、大阪・安治川山の会の T.A、元相模労山で現在長野・茅野労山の M.S、そして板橋労山の H.Y が加わり計5人の登山隊が結成された。また、同時にトレッキング隊も結成された。
 噂ではなかなか下りないと聞いていたエントリービザも、多少すったもんだしたものの、7月20日に交付され、無事インドに入国した。

 デリーからマナリへ
 2日間のデリー滞在はとにかく忙しく、朝から深夜まで食料の買い出し、IMF 訪問、リエゾン・オフィサーとの打ち合わせ 無線許可の取得、インド製ブタンガスのレンタル、固定ロープの購入等に駆けずり廻った。2日間の激務をこなし、7月26日の早朝、チャーターバスでマナリへ出発。 途中、バスの故障で27日の未明にマナリへ到着した。マナリでハイポーターのボララム氏とキャリラム氏及びララム氏の息子を紹介される。28日 BC に向けて出発。高度順化のため途中 3200m のチャトルに一泊してバタルに到着、30日にBC入りする。ここで M.S 隊員が離脱するというトラブルが発生したが、登山活動は継続する。

 ABC の建設
7月31日(雨) 
 早速、バラシグリ氷河を登って、ホワイトセール氷河との出合地点に ABC(4300m) をつくるための荷上げをする。バラシグリ氷河はモレーンが荒れていて歩きにくい。6時間かかって予定地に着き、荷物を下ろしてすぐ BC に引き返す。
8月2日(晴れ) 
 BC から ABC への荷上げ。二人のポーターとキッチンボーイ、児玉(トレッキング隊に参加後1人 BC 入りしている)で BC を建設する。は調子がすぐれず、この日も休養。BC から ABC 間のモレーンが悪く時間がかかるため、ABC を事実 上の BC にして、登頂まで BC に下りてこないというタクティクスを立てる。
8月3日(曇り) 
 先に上がった T.AH.YM.A の3人は、ホワイトセール氷河の垂壁を登って上部の C1 予定地の偵察に行く。は ABC に 入り、2人のポーターは荷上げを行う。 

 C1(4900m)の建設
8月4日(雨)
 氷河末端の氷壁を登りきるとホワイトセールプラトーという広くて平らな氷河上に 出る。ここまで来て初めてホワイトセール 峰を見ることができた。プラトーの左手に あるモレーンの岩を整地してC1をつくる。
8月5日(雨)
 ABCからC1へ。C1に宿泊。
8月6日(晴れ)
 いよいよ核心部の一つである稜線へのルート工作が始まる。ルートは霧峰ルートのクーロワールの右側の雪壁を登り右手から来るガリーに取る。ルート工作は、H.YT.AM.A に分け、H.Y チ ームが先発し、時間差でチームが1ピッチの計 7ピッチルートを延ばし下山する。
8月7日(晴れ)
 ガリーの上の雪田までルートを延ばすべく出発。M.A は高度障害で ABC に下山し 8日に戻る。昨日の終了点からさらに1ピッチで雪田に達する。しばらく休んだ後、 右手の雪壁をクレバスを回り込んで、さらに2ピッチ固定ロープを延ばすと稜線に達した。2日間で新ルートから稜線に達する という成果を上げ、C1に下る。コルからはトス側のヒマラヤの峰々が幾つも連なっていた。
8月8日(曇りのち晴れ)
 2日以来、動き続けてみんな非常に疲れていたため、C1で休養日とする。
8月9日(曇りのち雪)
 C2に宿泊のため出発する。プラトーを横断し雪壁の取り付きまで来たとき、「危険だから」という理由でポーターは帰ってしまった。過去に苦い経験があったらしい。おかげでC1から上の荷上げはすべて自分たちでやるはめになってしまった。雪田に達した頃から雪が降り出し、C2を建設するころは一段と激しくなる。
8月10日(曇り時々雪)
 C2から上部の壁のルート工作に出発するが、雪が不安定で途中で断念する。ロープをデポして一気にABCまで下降する。プラトーの歩行はクレバスがすべて新雪にうまっているため、全員がロープを着けて 慎重に行動する。
8月11~12日(晴れ)
 ABCで休養。
8月13日(曇り)
 ABCからC1へ上がる。
8月14日(晴れ)
 C1からC2へ上がる。

 アタック 全員登頂へ!
8月15日(晴れ)
 午前2時起床。ヘッドランプを点けて登高を開始する。断壁の下で10日にデポしたロープ類を回収し、断壁下に2ピッチロープを固定する。いよいよ第二の核心部 である断壁の突破にかかる。H.Y トップで右側の豊田ルートから突破する。断壁突破に1時間を費やす。2ピッチ目は H.Y に代わってがリードする。雪壁を3ピッチ登り小断壁を越えると、もうあとは頂上に向かう最後の雪壁となる。スタカットで3ピッチ登り、小さな雪庇を乗り越えるとそこが頂上であった。
 12時半。天気は良く、無風。次々に後続のメンバーを迎え、全員登頂を果たす。数えきれないヒマラヤの峰々をバックに相模の仲間たちが書いてくれた20周年旗、インド国旗をいれて記念写真を撮り合う。山頂で至福の1時間を過ごしてから、慎重に下山を開始する。午後7時、C2到着。
8月16日 
 C2から一気にBCまで駆け下り、BC で留守番をしていた S.K の涙に出迎えられる。 

 終わりに
 今回の登山では様々な困難に直面した。日本では登山申請、隊員集め、エントリービザが下りなかったことや期間の問題。インドでもデリーでの無線許可取得や盗難、バスの故障、隊員の離脱やハイ・ポーターのトラブルなど、拾い上げれば切りがない。そんな数々の苦しみを登頂の喜びに変えて登山を終了することができた。 
今回の登山でお世話になったすべての人々、そして、インドヒマラヤの雄大な自然に感謝し、いつの日かまた、再びピークを踏みに訪れたい。





(記・

(了)


【こだま寄稿】モンブランをぐるっと1周奮闘記
 寄稿:Tatsu
 2021.12.30

モンブランを1周するレースがある。最初にそれを聞いた時は「ふ~ん」くらいの興味しかもっていなかったが、国内の長距離トレイルレースにチャレンジして奮闘していく過程で、いつしか世界の100マイルレースに興味を持ち始めた。当時は富士山を1周するレースにチャレンジしたい気持ちが強かったため、そちらを重要視していたが、2016年は大雨による短縮レースと化してしまいあえなく不発に終わってしまった。せっかく当選したのに仕切り直しか~と思っていた矢先にモンブランを1周するレースであるUTMB(Ultra-Trail du Mont-Blanc)の参加資格をもっていたため、駄目元で抽選エントリーしたらまさかの一発当選。そんな経緯があって、自分のトレラン人生に大きな意味をもつことになったUTMBへ参加するに至ることができた。当時の資料と記録を見返すともう少しやりようがあったのではないかと感じてしまうが、記録に綴った惨状を読み返して、これでよくゴールしたよな~と我ながら思ってしまった。最近は海外レースやレースそのものがやりづらい世の中になってしまっているが、何かしらの目標に向かって邁進していく楽しさや面白さが身に染みてしまっているので、世の中がどう変わろうとこのスタンスは変わらず続けていきたい。今年はどれだけのことにチャレンジできるか楽しみである。

 

<UTMB2017奮闘記録> 長文注意

1.Chamonix Start
スタートは18時半なので、9時に起きて準備をして、17時まで仮眠。17時から装備品の最終チェックをしてから、スタートゲートへ向かう。2500人も集まるだけにゲート前は大混雑していた。セレモニーが終わるとレース開始態勢へ。この時は暑さもなく、半袖+アームウェアでちょうどいいくらい。山の上は相当寒いらしいが、灼熱地獄よりはマシだとこの時はそう思っていた。40時間以内ゴールを達成する事が今回の目標だが、マストは必ず完走すること。自分のトレイルランニングの節目とするために必ずここへ戻ってくる。さて、果たしてどれだけ頑張れるか。




2.Saint Gervais 21.3km
スタート後、しばらくは人混みの中にいたので、早歩き程度のペースが暫く続いた。スタートゲート付近からのギャラリー応援が凄まじく、選手の盛り上がりにひけをとらないぐらいの盛り上がりでやる気がすごく出てきた。民家が少なくなってからようやくランニングがスタート。7.9kmのウォーターエイドではコーラも置いてあったが、水を2杯飲んでその場を後にした。このエイド以降からトレイルを絡めたゲレンデの登りが始まった。まずは小手調べと思っていた登りも結構な距離で登り切るまでにスタート開始から2時間以上経過していた。21km地点までは3時間程度で行く予定だったので、下りに変わってから暫くペースを上げて行った。下る前から既に日没となり、ヘッドライトを装備。下りは急斜面で油断すると滑り落ちてしまう程で、気が抜けなかった。Saint Gervaisに近づくにつれて傾斜が緩くなり次第に走り易く、膝に負荷がかからなくなっていった。Saint Gervaisのエイドも応援で異様な盛り上がりを見せていて楽器による応援もあった。ここで水の補給とオレンジ、バナナを食べて先へ行く。相変わらず、海外エイドの食べ物はあまり口に合わなかった。


3.Les Contamines 31.6km
暫く夜の街並みが続くが、すぐに夜のトレイルに入る。登りは極力走らない作戦を取っていたため、歩く事が多かった。序盤の急登を登りきったあとは一旦下って緩やかな登りに切り替わるが、周囲のペースに合わせていたせいか少しばかり脚が痛くなったため、ペースを若干落とした。こんなところで脚が痛くなっているようでは、完走できないのでは・・・と少し不安がよぎった。ここから先は体力を温存しながら、慎重に進む走り方に切り替えた。エイドは相変わらずの盛り上がりで、ここでスープや果物を口に入れておいた。

4.La Balme 39.9km
ここから本格的な登りに入る。最初は緩やかな砂利道であるが一気に急登と化した。夜間だったので、周りの景色はよく見えなかったが、エイドに近づくと選手のライトがエイドと思われる灯にうねりながら光の帯状となっていたので、相当見通しの良いところなのだろうと思った。エイド標高が上がってきたせいもあり、少し止まっただけで寒気を感じる程に気温が低下していたので、ここでフリースと薄手の手袋を装備した。

5.Les Chapieux 50.3km
基本的にピークに達するまでは登りが続く、雨続きだったせいが至るところでぬかるみ、水溜りができていて、足場が不安定なところがあった。また、雪解けによる小川も至るところで形成されており、さすが4000m越えのモンブラン!というのが、最初の感想だった。ピークを越えたあとはつづら折りによる降りが暫く続いた。降りも自重しながら丁寧に降りることに専念した。ロードに切り替わる辺りがエイド地点になっていて、その先からはロード区間が暫く続くようだった。コーラとカフェを飲んで先へ進む。


6.Lac Combal 65.6km
緩やかなロードの登りが続いた後で、トレイル区間に入る。山と山の谷間に沿って進んでいるようで、標高をだいぶ上げたあとで後ろを振り返るとヘッドライトの帯が下まで連なっていて、我ながら貴重な経験しているな〜と改めて感じた。標高2300mくらい差し掛かった辺りから積雪と強風にさらされ、身体が徐々に冷え始めていった。登りきったらようやくイタリアなのだが、イタリアという実感はあまりなく、寒いので早めに退散したい気持ちで一杯だった。冷え始めた身体に熱を入れるために登りきった先の下りからは身体が熱くなるまで走り続けた。本来のコースでは2500mのピークがもう一つあったが、積雪で登れないためピークが1つカットされていた。その影響で先の関門時間が15分短縮など、時間調整されていることが次のエイドから知ることになる。下りトラバースしながら先へ進んでいくと、エイドは一旦下った平原になったところに設置されていて、下山途中の遠目からでも分かるくらいに見通しの良いところだった。




7.Col Checrouit Maison Vieille 74.0km
暫く平地が続いた後で、登りが入る。平地では大きな池に沿って走って行くが、この周辺で大会関係と思われるヘリが低空飛行で往復していたので、近くを通る度に手を振ってみた。登りはこれまでよりは楽な部類に入るはずだが、ここに至るまでの体力消耗が大きくなかなかピークにいかない事に対して苛立ちが少しあった。ピークを過ぎた後は、トラバースしながら、徐々に高度を下げていく。ここら辺の降りがなかなか走る元気が湧かず、走ったり歩いたりの繰り返しが続く。この区間は雲が晴れて天気がある程度よく、太陽の日差しも多少あったかと。なんとか着いた先のエイドはCourmayeurからわずか4km離れたところだったので、ここはスルーした。


8.Courmayeur  78.4km
ドロップバックエイドまで後少しという所で迎えたのが急下り。膝に負荷をかけたくなかったのでペースは落とした。エイドに近づくとそこはイタリアの街並みが広がっていた。街中のエイドだけに応援も活気づいていて、ようやく半分弱なのだと思ったが、ここからさらなる試練が待ち受けていることに、この時は思っていなかった。エイドではイタリアだけにペンネが出ていて、それは流石に食べる事ができたが、ここら辺りからジェルを補給する度に気分があまり良くない症状が出ていた。たまたま近くいた日本人に顔色の悪さを指摘され、胃の不調が顔にまで出ていたらしい・・・ここに来るまでにジェルを15個消費していたので、身体が拒絶反応を起こしているかもしれないと思い、ジェルの摂取間隔を広げていった。これが原因でさらに走る気力が損なわれていくのだが、これはまた後ほどの展開。エイド内は混んでいて、座る座席もなかったので、適当な地べたで着替えとザックの補給物資と日本から持ってきたカップ麺、カステラなどを食べていた。カップ麺のお湯に関しては温かったので、もう少しなんとかならなかったと今更ながら思う。カップ麺とか準備とかで、1時間半も消費したのは少しもったいなかった。



9.Refuge Bertone 83.2km
残り90km弱、本当にゴールまで辿り着けるのだろうかと心身に不安要素を抱えた状態で、次のエイドへ出発。序盤は街並みに沿って高度上げていき、途中からトレイル区間に入る。ここの登りがまた急登で、なかなかピークが見えず、700mくらいの登りがやたら長く感じたのと、登りきって平地になったら走ろうかと脚を動かそうとすると脚が全然動かない。おそらくガス欠・・・。ガス欠解消のためにエイド内でジェルとかの補給をしてみるもあまり改善が見られず、眠気覚しにコーヒーやコーラを飲んでみたが、あまり効果が見られなかった。ここら辺りから横風が強くなり、立ち止まっているとかなり寒気を感じる程だった。ここ以降、自分のレースとはかけ離れたグタグタな状態で心身苦しめられることになった。


10.Refuge Bonatti 90.6km
トラバース途中にあるエイドなので、楽に行けるかと思いきや小刻みなアップダウンで容赦なく体力を奪われていく。さらに吹雪による寒さで、雨具を含む着られるものを全て着ないとしのぐ事ができない程に身体が冷えきってしまっていた。エイドで長居してしまうと気持ちがどんどんネガティブ思考&寒さで凍えるだけだったので、用が済んだらさっさとエイドを出てしまうことにした。ここから持っている最大の防寒装備になって先に進む。ほぼ使わないと思っていたニット帽まで使うことになると思わなかった。これだけの防寒態勢で挑んだレースはこれが初だったし、吹雪の中のレースにしてもこれが初。100マイルレースはいつやっても2、3割増しで試練を課してくるような気がする。

11.Arnouvaz 95.6km
トラバース伝いに平行移動が基本だったが、アップダウンもしっかりついてくるので楽はさせてもらえなかった。エイド標高まで下る終盤の方はぬかるみに足を取られながら、なんとか下っていく。下りのぬかるみの影響か多少の渋滞が発生していた。靴がどれだけ泥まみれになろうと今のガス欠気味と寒さに比べればささいな事だった。エイドはそれ程の広さはなく混んでいた。やはり寒さが厳しいので、大半の人達は着込んでいた。暖かいコーヒーを飲んで、最低限の補給だけやってその場を後にした。次のエイドでようやくスイス。その前に2500mの山を越えないといけないが、レースを振り返ってみると、この山越えが最大の試練だった。

12.La Fouly 109.6km
ここから2500mまで登りになるが、エイドの標高で既に寒かったので、正直この登りが一番しんどかった。登る山を見るとはるか上の方に選手達が黙々と登っていて、今からあそこまで行くのか〜と思うと精神的なダメージも大きかった。登る前からこの山は危険だとヒシヒシ感じながら、上まで行くとそこは一面の景色が白銀の世界と横殴りの暴風で吹き荒れていて、1秒長居したくない気持ちですぐさまピークを越えたら高度を下げる事に夢中となっていた。そこにはようやくスイス入りという感慨深さのカケラもない有様。日没までにはエイド入りして寒さを最小限に食い止めようと延々と続くトラバース路を移動する。なかなか高度が下がらないため、いつになったら高度が下がるのかと焦りだけが募る一方だった。ようやくロードがある所まで下りたところで、そこから暫くロード道が続くが、この辺りで雨が降り、身体が冷えながらも日没までにはエイドに駆け込む事ができた。2回目の夜が始まる辺りから睡魔に対しての誤魔化しが効かなくなり始めていたので、テーブルで10〜15分程突っ伏して仮眠をとった。わずかな時間ではあるが、これ以上はエイド内でも寒くて先に進む気持ちがどんどん損なわれていくので、最低限の睡眠だけ確保した。こんな状態でも関門に対しては1時間半の余裕があったので、時間に対するゆとりはまだあった。

13.Champex-Lac 123.1km
序盤はロードと林道の降りが延々と続く。長めの休憩が功を奏したのか、この下り道は走り続ける事ができた。完全に夜間帯であっても民家付近では応援してくれている人達が結構いて、割と元気がでてきた。本当なら昼間にここを通過したかったのだが、これが今の自身の実力なのだろう。この時はゴールまで必ず辿り着くという事に対してモチベを高めていた。下りが終わると登りのトレイルに入るが、ぬかるみがかなりひどく、木の根や段差も多かったので特に注意が必要だった。登りのはずが登ったり下りたりして同じような所ぐるぐる回っているような感覚になりながらもようやくロードが出てくるところまで辿り着き、少し登っていったところでエイドがあった。ここのエイドはなかなか大きいエイドで少し仮眠するためのテーブルとイスのスペースはすぐに確保できた。睡魔による疲労も時間経過と共にどんどん悪化してきているのが分かり、いつまで身体を騙しきれるかが終盤の課題となっていった。

14.Trient 139.5km
序盤はロードで湖の周りを走るところから始まるが、暗くて湖がある事くらいしか分からなかった。ロードの下りと平坦は極力走るように心掛けていった。途中で腹痛に見舞われて、胃痛を抱えた状態で一山越えなければならなかった。ここの登りも随分と果てしなくそして急な登りで、体力をごっそり持っていかれるのには十分な負荷だった。道中、飲むと気持ち悪くなるエナジージェルを無理やり入れてエネルギー確保するも気持ち悪さで足元がおぼつかないのと睡魔による影響で脚が止まる場面が何度かあった。それでもこの登りは越えなければならなかったので、どこの街か分からない夜景を見下ろして気を紛らわして先へ先へと進めていく。下りが少し始まった辺りで、山小屋みたいな簡易エイドに辿り着く。寝るのはTrientに入ってからにしたいと思っていたので、最低限の水だけ補給してすぐに下っていく。多少の距離はあったものの傾斜は比較的緩やかだったので苦痛には感じなかった。夜が明ける前くらいでエイドに入りまずはテーブルに突っ伏して少しの仮眠をとった。

15.Vallorcine 149.7km
最後の2000mクラスの登りでこれが終わればもう登りは終了とこの時そう思っていたが、実はそうではない事を次のエイドで知る羽目になる。最終日の朝は非常に天気が良く登っている途中で暑くなり、ゴアテックスの雨具をようやく脱ぐことができた。上の稜線まで上がり、後半戦からろくに写真を撮ることができていなかったので、ここで山々の写真を撮った。下りに切り替わってから、緩やかな傾斜は走ることができたが、急な傾斜は膝を痛める危険があったため、早歩き程度に留めた。この時はこれを下ったらゴールだと勝手に決め込んでいたので、元気は結構あったのだと思う。ゴールではなくて、エイドが出てきた時のガッカリ感は相当なものだったが、次にまた2000mクラスの登りがあるのがとてつもない絶望感だった。ここで早くゴールしたい気持ちが押してしまい、ろくに補給せずに出てしまったが、これが致命的な仇となって、今まで誤魔化し続けてきた身体に対して大きな反動として返ってきた。

16.La Flegere 160.6km
序盤は川沿いに登山道を目指す。ここまでくるとわずかな斜面でも走ると息が上がってしまう程で、身体の半分が自分のものじゃないような感覚に陥ってしまっている状態だった。体は止まりたい、心は前に進めと相反する葛藤に心が勝ってなんとか進めてきた。この区間でようやく太陽が照らすようになったが、この精根尽き果てた心身に対して陽射しがかなり手痛く、身体に熱を持ってしまった事で、これまでしまい込んでいた疲労、睡魔、胃痛の全てが表に噴出するようになり、身体がどんどんフラついてしまい、最終的にはエイドの手前で座り込んでしまった。身体が動かない理由なんて色々ありすぎて冷静に分析する気も失せていたが、とにかく休むならエイドに辿りついてからだ・・・最後の最後でテクニカルコースを持ってこられたのも誤算だったが、シャモニーについてから暑いと感じた事がなかったので、暑さ慣れをしておらず、状態が急変してしまい、歩くことすらままならなくなってしまった。エイドの手前のゲレンデ道をずっと下を向きながら、エイドに向かって歩いていった。エイドに着いたら、その辺りの原っぱで仮眠しようと横になったが、エイドスタッフにそこで横になるのはダメだと身体を抱えられて医務室行きに。最終エイドにして医務室デビュー・・・。ここでBibを取り上げられるわけにはいかないので、少し寝たら元に戻ると事情を説明し、医務室内のベッドで30分就寝。久々に暖かい部屋で暖かいベッドで30分の間は完全に意識はぶっ飛ぶ。30分後に起こされた時に自分は今何しているのかという感覚だったが、すぐにまだレース中だと認識し、医務室のスタッフにお礼を言ってすぐにレースに復帰する。残るコースはトレイルとロードの下りのみ。

17.Chamonix 167.5km
最後の区間は、30分くらい横になったおかげで結構元気になっていた。時間帯も昼過ぎになっていたので、下っていく道中で色んな応援の人達とすれ違い、エールをかけてもらっていた。ようやく街中に出て、シャモニーの見覚えある景観が見えた時、やっとこの地に戻って来られたと100マイルならではの感慨深いものがあった。ゴール前は凱旋模様で、途中で既にゴールしている日本人や知り合いの日本人を始め、大勢の人達から出迎えられ、アナウンスの内容もほとんど意味は分からなかったが、祝福してくれている意志は汲み取れた。

大勢の人達とタッチを交わして、ようやくゴール!

ゴールの感想を求められ、日本語で応援してくれた皆様、ありがとうございました!と応対したつもり。英語で応対しようとしたら日本語で良いと言われたり言われなかったり等々あったが、記憶があいまい。

18.レースを終えて
目標40時間に対して3時間以上オーバーするという散々な結果になってしまったが、ゴールすることができたので、とりあえず胸を張って日本へ帰国できると考えていたが、もう少しまともなレース展開でいきたかったという心残りが若干あった。散々ひどい目にあったにも関わらず、機会があればまた参戦してみたい気もした。レースでのんびり観光がろくにできなかったが、海外の山々は国内にはない広大なフィールドがあり、本場のアルプスはやはり違う!というのがこの地へ来た時の第一印象だった。機会あれば普通の旅で訪れたい。

(了)


 

【12月の例会】

日時:12月8日 19:00~20:45
場所:大野南公民館 コミュニティ室
出席:しんご(司会)、たまのり(議事録)、KuriG、なべさん、たけ、ケンタ、みず、しんめい、わかさん、かず、Kimi、純、koji、ton、ねこ、ガッツ、ふくいち、mimi、imo、Tatsu、UTi(21名)


例会後の懇親会


【新規掲載の山行ブログ】

◆ 2021.11.28     労山県連講習会 (しんご)
◆ 2021.12.04               モミソ沢アイゼントレーニングと紅葉 (ふくいち)
◆ 2021.12.11 – 12.12   M会メンバーと八ヶ岳横岳西壁へ (しんめい)


おわり

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会員は相模原・厚木エリアを中心に、
町田、横浜、大和、座間、海老名、八王子に在住し、
様々な登山ジャンルで活動している地域山岳会です。

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