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【こだま】2023年 5月


もくじ
・こだま寄稿
   親子登山と時々クライミング
   私はなぜ山に登るのか(後編)
・5月の例会
・新規掲載の山行ブログ


【こだま寄稿】親子登山と時々クライミング
 寄稿:ZOE
 2023.05.25

 クライミングを始めたのは長男・長女が生まれた後だ。アルパインクライミングがやりたくて山岳会に入会した。「ガンガン登って、いっぱしのアルパインクライマーになるぞ!」と思っていたが、子供優先の生活は、なかなかクライミングには行けない。でも、せめて休みの日は、山には行きたい。だから親子で登山に行く。

 長男との初登山は、生後3ヵ月。抱っこ紐で高尾山に登った。頂上でのオムツ交換は、周囲の目が気になったが、長男は気持ち良さそうだった。その時、子供と登る時は、普段の登山道具に加えて、当然だが育児グッズが必要となり、その分荷物が多くなることを知った。それから背負子とザックが一緒になっているベビーキャリアーを使って、低山を中心に塔ノ岳や日光白根山など歩きやすい山を登った。長男はロープウェイや登山電車に乗るのが楽しみで、登山と言うと喜んで付いて来てくれた。2歳の夏、彼をベビーキャリアーで背負って入笠山に登った。暑くて堪えたが、いつのまにか重くなった長男の成長を感じられて良かった。

入笠山

 長女が生まれたあと、妻は産後で体力が低下し、重い物を背負うと腰が痛くなった。仕方がないので私が子供達を前後に背負って登った。歩荷訓練になると思った。子供達を前後に背負って、陣馬山や大菩薩嶺、大雪山(旭岳)などに登った。夏山の大雪山は風が強く寒かったが何とか登頂出来た。しかし、登山道は砂利で滑りやすかった。最悪にもグリップが良くないトレッキングシューズを履いていた。案の定、下山中に転倒してしまった。幸い子供達に怪我はなかった。それから前後に背負うのをやめた。今振り返ると、危険なことをしていたと反省している。同じことをする人はいないと思うがお勧めしない。

大雪山(旭岳)

 長男は3歳で大山を登れるようになった。さすがに下山中に眠たくなり抱っこして下山したが、ずいぶん脚は強くなった。初めて独力で歩いて登って降りたのは、4歳の時の筑波山。自分の食事や飲み物、レインウェアもザックに入れて、最後まで歩き通せた。笑顔でグングン先を行く長男を見て頼もしさを覚えた。いつの間にか、独力で登れるようになり、子供の成長の早さを感じた。父親のクライミングは成長しないが…。

筑波山

 その後、コロナ禍でも長男と長女と低山歩きに出かけた。そして、細々とクライミングも続けた。いつか本チャンにいけるように、フリークライミングを強くなろうと思っていた。「まずは北岳バットレス」と思っていたが、次男が誕生した。しばらく本チャンはお預けとした。バットレスに行けない代わりに5歳になった長男と北岳にいった。親子二人でテント泊したのは一生の思い出になった。頂上付近は怖かったようで少しトラウマになったみたいだ。もう一緒に登ってくれないかと思った。それでも翌年は一緒に蝶ヶ岳に登った。頂上から槍穂や星空を見せてあげることが出来たのは良かった。長男と頂上から景色を眺めているとバットレスはもう少し先でも良いかと思えた。

蝶ヶ岳

 長男と登ることが多かったが、現在4歳の長女も、独力で高尾山や大山を登って降りられるようになっている。だいたい、4歳になると低山の一般登山道であれば登れるらしい。子供が3人になった今、さすがに皆を背負って登れないが、長男・長女は既に自分の足で登れるようになった。次男も歩けるようになった。5人で親子登山にいける。子守でクライミングを優先出来ないことが多いが、今しかできない親子登山を楽しみたいと思う。

親子登山

(了)


【こだま寄稿】私はなぜ山に登るのか(後編)
 寄稿:ガッツ
 2023.05.23

 沢登り教室2年目も終盤に入った 2008 年の秋、卒業後の進路を考えていた。前年に卒業した先輩方を見てうすうすは気づいていたが、そもそも2年では思い描いていた「自立した沢屋」にはなれそうにはなかった。そして、この2年制の沢登り教室が、代金を払い講師やインストラクターから必要な技術や知識を学び、資格試験合格などを目指すというような、普通の専門学校ではないということもわかってきていた。16 人いた同期生は半分に減る中で、途中からはもう引き返すということはできなかった。それに、有名山岳会のレスキュー隊さながらの徒渉訓練などを見かけると、われわれはまだまだヒヨッコだなと痛感しており、進路は当然のように、山岳会に入り沢登りを続けていくつもりだった。

 10 月上旬、同期生数名とともに、卒業後の第一志望である山岳会の例会を見学に行く。教室の卒業生を主力とする敷居の高い会であり、会則は厳しかったが覚悟はしていた。例会が終わると居酒屋に移動して、懇親会が行われる。
お酒も回り緊張もほぐれてきたところで、会の顧問でもある先生は私に対して、「君もあと5年やれば、この人たちのようになれるよ。」と言った。
私は何を思ったのか、咄嗟に次のように言ってしまった。
「・・・いやぁ。そこをがんばって3年で、ですね・・・」
「ダメだ!5年だ!! この人たちを見ればわかるでしょ?」
「・・・ですよね」
と、言うのが精いっぱいだった。ほかにもいろいろあり、結局私は「考えさせてください」と言って懇親会はお開きになった。

 そこからの数日間は何をどう考えたのかは覚えてはいない。そんな中「もうダメかな」と思った瞬間があり、それ以降は気持ちが一歩も前に進むことができなくなってしまった。
夢中になるという言葉があるが、それまでは本当に夢の中にいたような気分だった。このダメかなと思った後は、まるで夢から醒めたときのような、何とも言えない白茶けた気分だったのを覚えている。
さらに数日後、別件で先生に電話を掛け、「今はどこの山岳会にも入らず、しばらくは仕事に専念する」と本題について伝えると、先生が急に不機嫌になったのがわかった。
「(あなたの場合は)社会人山岳会に入って続けていかないのであれば、沢登りは今後一切やめてください。どこの会にも入らず沢登りをすることは危険です。必ず事故を起こします。私は遭難予備軍を養成しているのではありません。百名山など、ほかを目指してください。」と、まくし立てるように言われると、もう何も言えなかった。
もちろん法的な拘束力などないので従う義務はないのだが、40 年で何百人の人を指導し見てきたその道のプロ中のプロの言う言葉は、この時の私には重かった。

 目的を見失ったあとも講習は消化試合のように続く。いっそ全休も考えたが、完走して卒業するという、当初の最低目標をモチベーションにしてなんとか乗り切った。不思議と肩の力が抜けて自然体で臨めた気さえする。ただ、最後の講習では無事に登り詰め、あとは整備された登山道を下るだけとなって歩き始めた途端、万感の思いがこみ上げてきて、いつしかウルウル状態になってしまった。教室の 4WD 車まで戻り講習は終了した。メンバー同士「ありがとう」「おおきに」と固い握手で労をねぎらう。私と同じくこの日が最後という女性も目を赤くしていた。夕闇が迫る中、円陣を組んで先生から最後の長いお話があった。厳しいお言葉が延々と続き、遭難予備軍という言葉も何度か出てきた。とにかくほめるということを知らない人であった。
 2008年11月30日。卒業式に出席した同期生は他に8人。苦楽を共にしてきた仲間ともお別れのときが来た。沢登りを続ける人、やめる人さまざまだが、普通の登山ならいくらでもできる。山は意外と狭い世界なので、どこかでまた会えるだろうとは思った。
卒業式の後で先生は沢登りの魅力について一言で表現した。
「まだ生まれてくる前の、母親のお腹の中にいたときのような感覚。」
それも今は少しわかるような気もするが、1年や2年で知り尽くせるものではないのだろう。

 「・・・ここで間を空けてしまったら、せっかくついた体力はまたもとに戻ってしまう。それに、あなたは太りやすい体質だし、年齢的にもう行き場はないよ。」と、先生は言った。
2011年に仕事の関係で生活の拠点を栃木県に移した。身近に山がある環境になったにもかかわらず、山に対する情熱は焚き火の跡のように冷めてしまっていた。年に1、2回程度、百名山に登りに行く程度はあったのだが。その後、2020年10月。縁あって、相模アルパインクラブに入会させていただき、現在に至る。

 将棋の羽生善治九段はかつて、「十代の頃は、才能とは一瞬のひらめきのようなものだと思っていたが、今は 10年 20年 30年という長い年月を、同じ姿勢で同じ情熱を傾けることができるのが才能だと思っている。」と言っていた。だとすれば、私には才能というものがないなと思っている。それでも、なぜ山に登るのかと言われれば、その答えを探しにまたどこかの山に登るのかもしれない。

 最後に(他会)さんのことについて。沢での高巻き中に転落事故が発生。そのまま帰らぬ人となりました。当日夜の誕生日祝いのサプライズを、メンバーで用意していた中での、突然の事故でした。さんとは、同じ沢登り教室の出身ということで、この日を含め一緒に山行をする機会が多く、揺るぎない信頼関係があったと思っています。私と同様、沢登りとお酒が大好きでした。山行そのものもそうですが、下山後の数々の珍道中や町田の焼肉屋での集合など思い出も多く、どれもこんな楽しいことがあっていいのかと思えるほどの素晴らしい時間でした。

 「死んだ奴はまだいいんだよ。好きなことをやったんだから。残された方がたまらないんだよ。一生背負っていかなきゃならないんだ。」いつだったかの、焚き火の横で先生が言っていたのを今でもはっきりと覚えています。実際に先生は若いころに仲間を増水時の徒渉失敗で亡くしており、それ以来、その業(ごう)をずっと背負い続け、これからも背負っていくつもりのようでした。もう 10年以上前のことになりますが振り返ってみて、先生が私たちに最も伝えたかったことは、「絶対に山で死んではいけない」ということではなかったかと思います。

 道のない山登り、冬山に匹敵するような緊張感、焚き火ができて冷えたビールが飲めるなど好きな人にはたまらなく愉快で楽しい沢登りの世界。でもその一方、一瞬にしてすべてが終わってしまう、厳しい自己責任の世界であることももちろんわかっているつもりでした。このような最悪の結果になってしまったことは本当に残念です。申し訳ないです。ご冥福を、心よりお祈りいたします。

(了)


【5月の例会】

日時:05月17日 19:30~20:45
場所:相模原市大野南公民館
出席:みほさん(司会)、まり(議事録)、なべさん、純、静子、和寿、わかさん、みず、KuriG、ケンタ、史一、しんめい、san、かず、ton、佐和ちゃん、ねこ、しんご、ガッツ、Tatsu、mimi、UTi、もん、kany(24名)
見学:1名

司会と議事録担当

例会後の懇親会

何時もの処


【新規掲載の山行ブログ】

◆ 2023.02.27 – 02.28  『思いっきり雪遊び』 (Kimi)
◆ 2023.04.01 – 04.02  五竜岳 G0 稜 (みほさん)
◆ 2023.04.30 – 05.01  稲子岳南壁 (mimi)
◆ 2023.05.02 – 05.04  GW 山行 横尾尾根からの槍ヶ岳 (セレナ)
◆ 2023.04.30 – 05.06  寒い!暑い!辛い!-GW みちのくクライミングツアー (純)
◆ 2023.05.20 – 05.21  一ノ倉沢衝立岩中央稜 (しんご)


おわり

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会員は相模原・厚木エリアを中心に、
町田、横浜、大和、座間、海老名、八王子に在住し、
様々な登山ジャンルで活動している地域山岳会です。

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