【こだま】2023年 2月
もくじ
・こだま寄稿
目標に向かってトレーニング
ふと見上げたら 55 年これから?年
・2月の例会
・新規掲載の山行ブログ
【こだま寄稿】目標に向かってトレーニング
寄稿:佐和ちゃん
2023.01.20
2022 年、成し遂げた事は何か。私にとっては初アルパインで北岳バットレスに行けた事だ。
クライミングの練習、ロープワーク、マルチシステム、懸垂下降などなど、やらなくてはならない事が山積みで、月一で仲間とトレーニングしてもなかなかスムーズにいかず本番を迎えた。楽しかったし、達成感はあったが、仲間のお陰で何とか行けたもの全てにおいて未熟だった。
さて、2023 年の目標は。
更なる上を目指して、仲間とバリエーションルート、アルパインクライミングに挑戦する事になった。去年の反省点も含め、何が足りなくてどんなトレーニングが必要なのかを考えてみた。一日に重い荷物を持って8時間以上も歩くアプローチ。全ては、体力勝負と言っても良いくらいだが、もちろん登攀力、危険察知力、読図力、判断力など総合力が必要である。
先ずは、自分が行きたいルートに向かっての体力アップトレーニングを考えてみた。
私の場合、山行に全ての力を出し切ると、気持ちに余裕が無くなるので、8割の力で登り残り、2割は不測の事態に備えて温存しておくようにトレーニングを考えた。
1. 荷物の軽量化
2. 基礎体力(筋力、持久力、登攀力)
3. 膝の負担を減らす歩き方
4. しなやかで柔軟な筋力と考え方
1. 荷物の軽量化の工夫
* 共有出来るものは、出来るだけ共有する。
* 食事は軽くて美味しい物、水はそれぞれの脱水量と給水量を計算。
* 全ての物を軽量し把握する事によって、余分な物を減らす。
2. 基礎体力
* 13 キロくらいの荷物を想定して、少しずつ量と歩く距離を伸ばしてトレーニング。
* 喋りながら歩けるスピード、心拍数を上げすぎない心肺機能の向上。
* 筋力だけで登るより、骨格で登る意識。
* 行動食の内容、摂取するタイミング。
* 登山できない時の、トレーニング。
3. 膝の負担を減らす歩き方
* 登り方、下り方、重心の置き方、膝や足首の屈曲に意識。
* サポーターやテーピングの使用。
* トレッキングポールの活用。
* 定期的な休憩(下りは 20~30 分で数分の休憩を入れると負担が減った)。
4. しなやかで柔軟な筋力と考え方
* ヨガ等で怪我しにくい柔軟な身体作りと精神統一。
あとは、日々実行するのみ。
以上
(了)
【こだま寄稿】ふと見上げたら 55 年これから?年
寄稿:ちょう
2023.02.10
ビレイたのむぞ、今はビレイ OK の立ち位置。
19 歳頃企業内山岳部へ。当時の部は 26 歳前後が中心でクライミングが活発であった。海外に行くと退職した先輩もいた。弱音を吐けば「山を下りろ」「やめちまえ」。休憩、食事は立って食べる。岩場取りつきアプローチは先行を抜いても抜かれるな、山は甘くないと𠮟咤激励。多数参加では登りは我慢比べ、誰かがバテルとしめしめ、ペースが落ちるので楽になる。しかし完全にバテルと荷物が来るので微妙。20 歳からクライミングを始める。半年もすれば先輩見守る中リード練習。手製のゼルブスト(ハーネス)で三角カラビナにロープを結ぶ。ハーケン、リングボルトに全体重を掛ける。抜けないのを祈るだけ。入会した時に先輩が谷川岳幽ノ沢中央壁で 17~20m 滑落し右手甲開放骨折他打撲し他パーティーの助けも借り自力で8時間位へて水上の病院まで下山。1本のボルト、ハーケン1枚とパートナーの確保技術で止まった。いやらしい草付きで岩が剥がれて滑落。一年後同ルートリベンジに同行させてもらった。私はV字状左ルートでエールを送った。部報には墜落の記録と一年後の記録が記載されている。皆、登攀に対してギラギラ、ガンガン、熱く語っていた時代でした。
昭和 42 年 20 歳、大仁城山・人工登攀
昭和 43 年8月穂高夏山合宿部報から・滝谷ドーム西壁
高度成長期に入り各社新設工場建設、人の流動と大量新規採用時代の中、私も諸般の事情で転職。新たな新工場で山岳部を立ち上げた。クライミングの経験者がいないので登攀的な事は出来ないが、前穂北尾根や北鎌尾根、滝谷の簡単なルートは登った。夜行列車の席確保で何時間前から新宿駅階段で登山者が並んだ。列車に乗り込めばすぐに座席下に新聞紙を敷いてねぐら確保。南アルプス(甲斐駒岳~光岳)、北アルプス(劔岳~西穂高岳)一週間縦走の夕食は白飯アルファー米とおかかふりかけにスルメイカと紅茶の毎日。今のアルファー米は美味しいです。木道、柵が殆ど無い良き時代の登山道でした。山小屋宿泊料金は1泊2食付きで 2300 円~(昭和 49 年ヤマケイより)。パイプ煙草、マールボロ、バーボン、山はロマンだと粋がっていたが馬力があった 20 代。
バテタ人の荷物も背負う事に 春山合宿涸沢へ
穂高滝谷で登攀を終えて
笛吹川・釜ノ沢東俣遡行 当時は地下足袋か草鞋でした
30 代 40 代は、年齢的にも仕事、家庭、組合等多忙であり登山はしていた記憶が殆ど無いが、昔の手帳や写真により時々登山していたようだ。山岳関係の本を多く読んでいた時期でした。当初先輩から言われた「山に行かない山ヤになりたくない、なぜなら山が好きだから」の言葉を思いつついつか行ける時が来ると信じていた。
現在も登山ができている転機になった思えることがあった。
45 歳過ぎになり久しぶりに丹沢に出かけた。ヤビツ峠表尾根から塔ノ岳~大倉尾根コース。今でも鮮明に覚えている。自分では歩けると思っていたが、抜かれる事だらけ、大倉尾根下りでは足が攣りやっとの思いで下山。こんな情けない自分を感じた事は無かった。鍛えないと今後の登山が出来ないと思いランニング開始。最初は 500m からスタートしフルマラソン目標として徐々に距離伸ばしていった。最初のフルマラソンはハワイホノルルマラソン、その後東京マラソン、湘南国際マラソン他、ハーフマラソンや幾つか大会参加。68 歳の横浜フルマラソンを最後に大会参加終了。ランニングのおかげで登山も楽になった。
安全の考え方は仕事でも登山でも取り組みは共通している部分は多々ある。仕事で安全関係業務担当の時期もあった。おかげで安全に関する感性は磨かれと思っている。今は心して意識している事は、昔から言われている
【安全の ABC(あたりまえのことを、ぼんやりしないで、ちゃんとやれ)】更に
【安全の最後の砦は自分(リスク管理と判断は自分でやる)】
【何をしたかでなく、何のためにしたか(操作、行動は何のためか意識する)】である。
しかしスキを見せれば事故は何時でも起きる。自分と向き合う間の重要性を感じている。
登山に多く関わる事が出来たのは 60 歳過ぎで仕事を離れてからである。
アルパインマルチルートも行く機会もあった。20 歳で前穂4峰、北条・新村ルート、松高ルート、前穂Dフェースダイレクトルートを涸沢ベースで登攀してから 45 年ぶりに奥又白池から北条・新村ルートに行けた。
このルートの北条理一についての日本山岳文化学会論集で砂田定夫氏の『庶民派クライマー・北条理一の軌跡』は興味深く読んだ。
奥又白池から前穂北尾根 一度は訪れてみたい風景
北岳バットレス4尾根は枯れ木のテラス上部が 2010 年に崩壊した。その2年後に行った時4尾根からDガリを眺め登ってみたいと思い 2015 年行くことができた。天候も良く景色の素晴らしさと快適な登攀であった。
北岳バットレスDガリ奥壁 高度感と景色が素晴らしい
先人達は現在より劣る装備や移動時間がかかる時代に登攀した。苦労や人間模様が描けれている文庫を読み、その開拓者の恩恵を受けて自分も同ルートをたどっているのだと。
ルート崩壊、ルートのフリー化等の変化により登られているルートも少なくなっている。
アルパインルートを目指している人は、ぜひ先人に思い馳せ歴史を感じながら素晴らしい景色とやったーとの解放感を楽しんでください。
55 年の年月は長いが、登山は年月ではなく、どれだけ回数を経験しているかであり、その点では私は少ない。まだまだ、やれると思う気持ちは下山した時に実感できる。
今はフリークライミング中心で、岩場で講釈をたれ、時折三味線を弾いて、あがき楽しんでいる年寄りに同行してくれる仲間に感謝です。
ふりかえれば・山はいつも心地よい風が吹いていた
(了)
【2月の例会】
日時:2月15日 19:30~21:30
場所:相模原市大野南公民館
出席:mimi(司会)、ガッツ(議事録)、なべさん、純、わかさん、みず、KuriG、tam、しんめい、かず、佐和ちゃん、ねこ、Kimi、Tatsu、まり、みほさん、ZOE、UTi、ふくいち、もん、kany、セレナ(22名)
ファーストエイドについて
凍傷について
例会後の懇親会
【新規掲載の山行ブログ】
◆ 2022.12.29 – 12.31 甲斐駒ヶ岳 黄蓮谷左俣 (しんご)
◆ 2023.01.28 – 01.29 大人のアスレチック! 妙義山・石門めぐり&丁須の頭 (miyuki)
◆ 2023.02.12 モミソ沢・アイゼン岩トレ (けい)
おわり