【こだま】2020年 8月
【こだま寄稿】マイ・クライミングライフ
寄稿:純
2020.09.05
私が会に入ったのは 29 歳の時だ。現在はあともう少しで 69 になるから、かれこれ 40 年間にわたりクライミングを楽しんできた。
前回の「こだま」でなべさんが書いていたが、その頃の会(当時は「相模勤労者山岳会」だった)には「登攀研究会」というインナーサークルがあって、岩登りがやりたくて入会した私も在籍させてもらった。
当時は「鉄の時代」と言って、国内の壁の初登攀もあらかた終わり、冬季登攀やヒマラヤバリエーションが最先端のクライミングだった。牽引するのは「山学同志会」の小西政継さんたち、強い鉄の男に多くのクライマーが憧れていた。当然登攀研究会の仲間達も小西イズムに憧れ、一所懸命積雪期の冬壁に向けてトレーニングに励んでいた。
広沢寺等のゲレンデで基礎技術を叩き込まれ、丹沢の有名な沢をあらかた登った後は、谷川岳一の倉沢の壁に通う事になる。関越道も未だ前橋までしか開通していない時代、
毎週のように出合いまで車を走らせ、晴れていれば登り、雨ならそのまま引き返してくる(室内壁なんてものはなく、雨なら登れない時代だった、当然なかなか上手くはならなかった・・・これ言い訳、今は幸せ!) という非効率、かつ暇な時代でもあった。
ちなみに履いていたのは「UP シューズ」という、スポンジ底で、中学生が体育の授業で履くような青色の運動靴。これがフリクションが効いて、泥の付いた岩でも滑らなかった。この UP シューズで一の倉沢のほとんどのルートを登ったのだ、信じられる?
ただアッパーは薄いナイロン布でしかなく、岩に足をぶつけると痛いし、すぐ破れてしまうので始終買い直していた。靴屋は儲かった!
そんな牧歌的な岩登りをしている内にアメリカから伝わってきたのが「フリークライミング」という新しい登り方。なにせその頃のグレードは5級までしかなく、垂直を越えると後は人工登攀といって、アブミに乗らないと登れないと言われていた。
ところが、フリーはそんな傾斜のある壁を登るのだという。それで最初は「ハードフリー」なんて言っていた。グレードは5級を通り越して6級や7級に相当するが、アメリカではデシマルグレードと言っていた。今は皆さんがよく知っている 5.10a などのことだ。 靴も UP シューズから、フラットソールに変わった。だが新しくフリーのルートができた湯河原幕岩や小川山へ行っても、 5.10a ですら難しくて登れなかった。当たり前である
それまでのクライミングでは壁に対して、正対して登れと言われてきた、また貧弱なプロテクションな為、落ちてはいけない登り方をしてきたのである。これに対してフリーは正対では無く、体を振って体重を分散し、ムーブを獲得するまでは何回落ちても可であり、登る思想が全く違う。今ではトレーニングによって、自分の身体能力を向上させることでより難しいルートを登る、また極力人工的な手段を排して壁と向き合うフリークライミングが主流となり、かつての人工登攀はすっかり寂れてしまった。
以下、次回に
【こだま寄稿】会の歴史(続き)
寄稿:なべさん
2020.09.08
前回、1992 年時に会としての一大隆盛期の経緯について記述しました。「山あれば谷あり」とはよく耳にいたしますが、この一大隆盛期から会としての変遷も生じました。
時を同じくして、沢登りを中心に活動していた会員の数名がより沢登りに特化した活動を求めて相模から離れ、「遡行クラブ神奈川」と「さがみ山友会」を結成しました。
「さがみ山友会」は現在も神奈川県連に加盟していますが、「遡行クラブ神奈川」は 95 年に県連より脱退し、会としても解散してしまいました。
昨年、事務所閉鎖に伴い、大量にあった資料を処分してしまったため、年がはっきりしませんが、「交流ハイク」の実施をめぐり、会の中で意見の対立があって混乱が生まれました。
交流ハイクは、これまで 10 数回実施してきており、事故や問題もなかった。実施に当たっては実施場所・ルート・休憩地などの下見も行うことは勿論、相模原市の社会福祉協議会から後援をもらうとともに参加者募集やボランティア保険加入するなどの指導や協力を得た企画でした。またボランティアに対しては行事保険に加入するなど、十分な準備をしての実施でありました。この行政の後援をもとに引き続き、交流ハイクは実施すべきだとする意見と、事故が生じた場合に主催者側の損害賠償責任や刑事責任が問われるという意見が対立し、喧々諤々と何度も論議しましたが、意思統一を見ることができませんでした。この問題は後を引き、結果的に運営委員会メンバー全員と他の数名が退会することになりました。彼らは新たに「白嶺岳和会」という会を創り、神奈川県連に加盟しましたが、数年後には会員の減少により県連から退会しました。
この時の運営委員全員(会長・副会長・運営委員長・事務局長・リーダー部長・機関誌部長)の退会は、その後の会運営に大きな影響を及ぼすことになったのです。会の中心メンバーが一度に退会したことにより、会員の減少が続き、会活動が低迷することになりました。
交流ハイクはその後数年してやめることになりました。
会の事務所も財政的に維持できなくなり、閉鎖することになりました。会の装備や資料はトランクルームを借りて保管することになり、現在は会員の自宅で管理保管という状態が続いています。
低迷時期にも地道に山行や日常活動を行ってきました。この後も会の名称変更や遭難事故など会の存続にかかわる様々な出来事がありました。
現在、会は、徐々に若い会員が増え、活動も活発になってきていることはうれしい限りです。
(了)
【8月の例会】
日時:8月19日 19:30~21:30
場所:相模原市大野南公民館
出席:nat、クリ爺、なべさん、R1000、たまのり、ミスターT、たけ、和寿、わかさん、シゲ、ton、san、imo、koji、みず、ふたとも、ケンタ、純、史一、ねこ、ふじ、しんめい(22名)
見学:1名
山行報告
クリックで展開
◆ 7/11 三郎の岩道窪(ton)しんめい、Sさん3人で。岩ビショビショでリード敗退。あまりにも蒸したので途中で下山。
◆ 7/12 大倉~宮ケ瀬三叉路(シゲ)・・・忘れた。三叉路に行かないで、まっすぐ帰った。
◆ 7/12 御岳ボルダー(nat)だいぶ前で覚えていない。
◆ 7/18 センノ沢~柳沢(しんめい)沢下降の練習に行ってきた。
◆ 7/19 真赤岳教寺尾根(koji)山仲間と二人で。天気良かった。
◆ 7/19 四十八滝沢(ton)四十八滝沢、全体的に面白い沢。登り詰めると三つ峠。もう一度行ってみたい。
◆ 7/19 源次郎沢
(たまのり)よく覚えていない。2か所くらい登れない所があった。
(ケンタ)水量多くて最後まで濡れていた。難易度上がって・・・
◆ 7/24 水晶沢
(ケンタ)モロクボ~堰堤のナメ・・・左又に入ったら 15m のナメ滝・・
(たまのり)出だしの大滝があったところ、四苦八苦して・・・
(みず)上の詰めが良くなかった、沢自体は良かった。
◆ 7/23-35 赤湯又沢虎毛沢
(しんめい)10 年ぶり、ほとんど覚えていなかった。
(ton)温泉で、4キロお酒を飲んで・・・。最後の藪漕ぎも大したことなかった。
◆ 7/24-25 北ノ又川白沢(R1000)・・・1200m から雪が出始めた。ひたすら水を被りながら連瀑帯を・・・
◆ 8/1 御岳ボルダー(nat)デッドエンド、登れなかった。梅雨明け直ぐで濡れていた。ウエスを持った・・
◆ 8/1 滝小山(シゲ)すみません、下山連絡が着かなかった。寒いくらいだった。ほぼ予定通り下りた。
◆ 8/1-2 中ノ岐沢北岐沢
(ケンタ)泊沢の仕上げ。水量がそもそも多く、さらに多かった。水量が多く腰が引けてしまった滝もあった。
(みず)ナメが多くて良かった。焚火に火が点かなかったのは残念。帰りの下山路が大変だった。
(たまのり)泊の沢でナメがあった、綺麗だった。
◆ 8/1-2 釜ノ沢東俣
(ton)自分が初めて行った沢、2年前に。水量が少しだけ多かった。焚火が点かず暖が取れなかった。下りが長く、会った全員沢靴を履いていた。
(san)楽しかった。
(ふじ)san さんの女子姿が見れた。
(しんめい)二日間楽しかった。
◆ 8/2 御岳ボルダー(nat)ボルダラー8人くらいでデッドエンドをトライ。完登できず。
◆ 8/5 大菩薩冨士見新道(わかさん)mabu さんと私は普通の道は行かない。昔の登山道、新道が出来ている・・・・・・
◆ 8/8 御岳ボルダー(nat)この日、デッドエンド1級完登!(拍手、々)
◆ 8/8-9 南木曾・岩倉川(しんめい)・・・
◆ 8/8-9 甲斐駒~鋸岳(koji) 6合目にテントを張って、日向八丁から下りた。ピンクテープがたくさん貼ってあった、非常に疲れた。
◆ 8/9 瑞牆
(史一)カサメリ沢、フェイスの簡単なやつを・・・
(san)カサメリは初めて行った。
◆ 8/9 樅ノ木沢(imo)沖ビリ沢下降~樅ノ木沢。意外と長くて疲れた。浅い所にも魚が一杯いた。
◆ 8/11-13 ユウトムラウシ川
(R1000)1日天気が・・・2泊3日を1泊2日で行ってきた。最初は河原歩き7時間で最初の大滝。・・・
(ton)魚釣れた、楽しかった。
◆ 8/15 水根沢谷
(しんめい)「動画」
(シゲ)・・・
◆ 8/16-17 木曽駒ヶ岳(koji)なんとか終バスに間に合った。ロープウェイの方がタクシーより安かった。天気も良く御来光が・・・・
◆ 8/4-19 小川山廻り目平
(クリ爺)15 名参加、トータル 92 日間。来年もやりたいと思っています。
(ミスターT)後半11日から。誰が参加するか分からなかった。岩に集中できた小川山でした。
(san)史一と2日間だけ・・・
(シゲ)8、9、10日。登山靴を忘れた。カラファテで岩のアプローチシューズ \17,800 買って、金峰山往復、金峰山頂 300 人ごった返し・・
(imo)登ったというより、登らせてもらった、ひたすら吊るしてもらった。膝のあざがすごい。ミスターT君の料理がすごい、日中の消費カロリーより摂っている。
(みず)計画書出し忘れ。14日までいた。とても涼しかったので帰ったら地獄でした。
(ケンタ)8、9、10日。純さんに易しいルートを付き合わせてしまった。野猿返し、Wさんと・・・
(純)今日帰ってきた。小川山、お盆過ぎると・・・今朝17℃、もう冬だろう。流星巡り、今回正規のルートを登った。
(史一)2日間だけ行ったが、もうちょっと行きたかった。
(ねこ)小川山はほとんど行ったことがなかった。瑞牆、初デビュー・・・
(ふじ)1日目 nat さんボルダー、みずさんと練習した。2日目Iさん姉岩フェニックスで・・・
(nat)バス停からギア 30㎏、ボッカ訓練・・・。4級、なーたんさんと4本トライしたが登れなかった。
【こだま山行ブログ】
◆ 2020.07.23 – 07.25 湯ノ又沢~赤湯又沢~虎毛沢 (ton)
◆ 2020.08.01 – 08.02 片品川中ノ岐沢北岐沢 (みず)
◆ 2020.08.01 – 08.02 はじめての沢泊まり山行@釜の沢 (imo)
◆ 2020.08.11 – 08.13 鹿島槍ヶ岳を目指し (しょーちゃん)
◆ 2020.08.11 – 08.13 ユウトムラウシ川 (ふたとも)
◆ 2020.08.11 – 08.15 2020年小川山ベースキャンプ (なーたん)
◆ 2020.08.16 – 08.17 中央アルプス縦走 (koji)
おわり